更新日:2020-09-01 仏教成道会如来悟り覚醒自覚悟りの錬金術

楽に生きる。自覚と共に生きられる喜び

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WRITER 境大雅(さかいひろまさ)
代表取締役
日本の覚者として、大自由を生きる 大学卒業後16年間、宗教家としての経歴を経て、2011年7月New Reality Inc.を設立。 スピリチュアルケアマスターとして、日本における覚者の一人として、 日本人の覚醒をサポートする一役を担っています。 また、101キャンドルライト(株)代表取締役、 別法人キャンドルライト内では、師より「生きた釈迦のようでありなさい」との願いの元、ID【三寶:サンボ】を授かる。 *注:三寶とは、佛宝・法宝・僧宝の三つの宝である三寶帰依に由来しています。
楽に生きる。自覚と共に生きられる喜び

楽に生きる。自覚と共に生きられる喜び

京都での生活はいい感じです

みなさま、こんにちは。今日から9月がスタートしました。
暑い暑い夏の季節から、いよいよ収穫のシーズン、実りを迎えるタイミングとなって参ります。

おかげさまで、私も京都の中心地にあたる地域へもそれほど時間が掛からないので、ちょっとお茶をするついでに、買い物などを四条から河原町、祇園のあたりまで足を伸ばして、出かけることもあったりします。

京都に来てから、初めて八坂神社に参拝し、私自身も荘厳な気持ちで、この京都において成してゆく思いを宣言し、報告してから昨日のコラムを書かせて頂きました。

おかげさまで、京都生活1ヶ月が過ぎて、いろいろと余裕や遊びが心に出てきましたので、少し私も時間をかけていろんなことを表現する場としてコラム執筆を継続的にするか、思った時だけやるか、その時の情熱・心に任せてやってみたいと思っております。どうか温かい目で見守って頂ければ、幸いでございます。

釈尊が悟りを経た後の最初の言葉

釈尊成道後に発せられた有名な言葉

「奇なるかな、奇なるかな、一切衆生悉く皆如来の智慧・徳相を具有す。ただ妄想・執着あるが故に証得せず」

釈尊成道後に発せられた有名な言葉

(注:仏教の経典には明記される記録なし。他の文献では記録有)

私は、この釈尊が成道(悟りを開いた時)された際に、最初に発せられたと学んだフレーズであります。

意訳を加えますと、「不思議だ、不思議だ。この娑婆に存在する人間たちは皆如来の智慧・徳ある姿を潜在的には持ち合わせている。
しかし、利己的な考え方、自分勝手な考え方や、自分さえ良ければいいと考えて自己中心的な固執、とらわれる心で、その潜在的なポテンシャルを発揮しきれていないのである。」と若干の補足する言葉を加えていますが、だいたいの要旨は理解することができるのではないでしょうか?

まず
私という存在に対する間違った認識から始まっている…

私という神なる、聖なるアイデンティティーという実存、本質を知らず、触れられず、理解することすらままならず、肉体の自分が自分であると分離制限の元で学んできた正しくは全くない情報しかない中で、私たちは人間的な経験をたくさんしてまいりました。

あまりにも枝葉末節的な思考、断片的な考えを刷り込まれて、自分自身の存在価値や存在意義など感じることもなく、知ることすら全くないまま人間的経験を延々と繰り返してきた存在と本当にたくさんたくさん出会ってきました。

「自分が一体誰なのか」が全く知らないので、オギャーと生まれて、その産んでくれた両親を中心に自分が育ってゆく環境下で、限られた人間社会で、限られた情報を学んで、眠ってきた私たち人間の輪廻転生の歴史があります。

その前提があればあるほどに、間違った考え方、自分自身が選択する規範として「自己中心」となりやすくなるのは、至極当然のことと思えてなりません。

さて、
妄想とは

「誤った考え。妄念。邪念」とあります。

goo国語辞書より引用

執着とは

「仏教において事物に固執し、とらわれること。主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。」とあります。

Wikipedia より引用

私が思うに、人間は全て大なり小なりはありますが、全て妄想族と言っても過言ではありません。
且つ、誰もが大なり小なり自分のことさえよければいい、少なくとも自分という存在や身近な人くらいはなんとか生活を守り、面倒を見るくらいはしなければという考え方がそれ相応いらっしゃるのではないでしょうか?

妄想してます。執着もバリバリありますというくらいが当たり前な感じです。

言葉を少し変えますと、無智・無明であることを人間本当に無自覚にやり続けてきながら、人間は生きています。
世俗で仕事をし、経済活動を営みながら自分や家族のために生きてゆこうをする人たちにおいて、妄想や執着をしているしていないという視点はあまり関心のない領域なのかもしれません。

それぞれが自分自身のインプットしてきた情報を元に、その人なりの基準が出来上がって、その人となりの言動があり、人間性・人格が形成されてゆきます。
(詳細は、後日違う仏教の教えをご紹介致します。)

そして、その個人の形成してきた「思考」「こだわり」主義主張したくなる「自尊心」を握って、いろんなところで心や考えの摩擦が起こっております。
智慧がないので、それを回避する術を知ることが全くできないのです。

智慧のない人間の心の状態の中で最も顕著なものは、
「貪・瞋・痴(トン・ジン・チ)」です。

貪浴(トンヨク)むさぼり、必要以上に求める心。
瞋恚(シンニ)いかりの心
愚痴(グチ)真理に対する無知の心。愚かさと表現する。

Wikipediaより引用

過去、宗教者として、仏教徒としてその教えを信仰する一人で修行していた私には
これらの心を如何に向き合い、コントロールし、乗り越えてゆけばいいのか全く手のつけようもないくらい大きな壁のように思えてなりませんでした。

あまりにも多くあり、たくさんあり、消えることなく私の心から沸々と湧き上がってくるエゴの塊のようなものたちを消化しきれないジレンマを抱えたままでしかなかったのですから。

悟りの錬金術より紐解かれた叡智を

苦行から遊行へ

宗教家としての限界、そして、自分自身への限界を過去の私はずっと抱えながら生きてきました。
知ってはいるけども、全然体感がない。または、書いている教えが自分と照らし合わせても、腑に落としきれないというジレンマがずっとありました。

しかし、私は宗教界、精神世界を経験しながら、自分の霊性進化を着々としてきました。
自分という真なるアイデンティティーを、情報として知り、その情報を自分の人生に活用し、自分という存在の偉大さ、尊厳というものを着々と育ててきました。

自然と私の心が大きくなった分だけ、私は現実というホログラムに対して影響を受けることが段々となくなっていったのです。

それでは、せっかくですので、私が尊敬してやまない師父であるマスターゲート氏の本より
私が好きな文章を二つ紹介をさせて頂きます。

「悟りの錬金術」

君に…
相手に向かう怒りを力で押し込めというのではない。ただ君の怒りに君が飲み込まれないことを望むだけ。
相手が嫌いなのに好きになるように努力しろというのではない。嫌っている君自身までも嫌う必要がないということ。
気に入らない相手を無理して理解しろというのではない。相手が理解できない君自身だけは理解してごらん。
何でも君は知っておくべきだというのではない。知らないということが、君自身を不自由にするわけではないことがわかればいい。
真理とは君を閉じ込める垣根ではなく、君を自由へと吹き飛ばす風なのだ。(P28・29)

「空を見てこそ星がとれるだろう…」
私たちにはとても慣れ親しんだ言葉です。
実は修行もそうなのです。
自分を見てこそ仏陀に会えて、
煩悩を見てこそ悟りが訪れて、
拘束の輪を探してこそ自由が得られます。

けれども、
自分という妨げは仏陀に行き着く扉であり、
煩悩という妨げは悟りに行き着く扉であり、
拘束という妨げは自由に行き着く扉です。
そして、すべての妨げはすべてに行き着く扉でもあります。
みなさん、
このようにすべての困難を機会として利用しましょう。
ストレス、不幸、孤独、不平、不満…。
すべては、みなさんが好材料に変えることができる、
悪材料たちです。(P170・171)

「悟りの錬金術」

私は自分の中にあるエゴというものをただ理解し、受容し、受け入れるという私を育ててゆくだけで、
全く違った感覚と観点を持つようになっていったのです。

私が私の1番のより理解者となり、応援者となり、協力者となりさえすれば
外側の状況や出来事、ストーリーから受けたはずのいろんな心模様から本当に影響を受けなくて済むようになります。

しかも、それらのことや人や状況に対して、自分の自覚を深める好材料として感謝しているようになってしまうのです。

「自分が一体誰なのか?」
「すべては私の心持ちにかかっている」

人間はいろんな悟りや目覚め、覚醒された状態に至るために
多くの情報を学び、試行錯誤の中で、四苦八苦しまっています。

しかし、
神聖なる偉大なる私というアイデンティティーを悟り
一切唯心造という生きるための本当に大事な心構えを
羅針盤にしてさえいればいいと思えるところまでこられたので、
本当に本当に楽に、軽やかに、遊び心で、私が自由でいられるのです。

ずっと諦めずに、ずっと求めて求めてやまなかった
私の歩みは、決して無駄なことはなかったと思えてなりません。

「自覚」とは、私を通して至る自由を手にします。

手にしてしまったら、後はそこで生きて、分かち合って、
幸せの道のりをまっすぐに遊んでゆくだけです。

今日も最後までお読みくださいまして
心から感謝申し上げます。

なるべく定期配信ができますように、文章を書いてみようと思い始めてきています。