更新日:2020-09-11 仏教四諦の法門集諦十如是

原因を突き止められますか?

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WRITER 境大雅(さかいひろまさ)
代表取締役
日本の覚者として、大自由を生きる 大学卒業後16年間、宗教家としての経歴を経て、2011年7月New Reality Inc.を設立。 スピリチュアルケアマスターとして、日本における覚者の一人として、 日本人の覚醒をサポートする一役を担っています。 また、101キャンドルライト(株)代表取締役、 別法人キャンドルライト内では、師より「生きた釈迦のようでありなさい」との願いの元、ID【三寶:サンボ】を授かる。 *注:三寶とは、佛宝・法宝・僧宝の三つの宝である三寶帰依に由来しています。
原因を突き止められますか?

原因を突き止められますか?

見つけ出せますでしょうか?私の苦悩の根本を…

みなさん、こんにちは。おかげさまで週5回ペースのコラム投稿も慣れてきました。1日約2−3時間を要する執筆・作業になるのですが、とても楽しいです。
また、一日約30〜40人ほどの訪問履歴が残されていて、だんだんとコラムを読んでくださっている方々が増え始めていることは、本当にありがたいことです。

もちろん、自分自身がずっと仏教の教えの大事なポイントを、体系的に、連動させて、文章を書いてみたいと思ってはいたのですが、日々の忙しさを理由に、自分以外の状況を言い訳にして、やりたくてもやらない選択をしていたことを、今は何の気兼ねもなく、自由に、やり始めて、やり続けていられることの幸せ、豊かさをひしひしと実感している最中です。

自分が宇宙存在から直接教えてもらった自分の情熱を灯にしながら、具体的に行動を伴ってやり続けてゆくことの大切さ、面白さを実人生を実験台にして、やり続けた甲斐があったと、今のこの段階においても、本当に実感するばかりです。

その心掛けてきたことは何かと言いますと…

最も惹かれることを
最大限の力を使って
もうこれ以上できないというくらいのところまで
毎瞬毎瞬やってみる

やってみたら、そのことへの期待を手放すこと。

以上のことが総キットとなって、情熱のドライビングエンジン・ガソリンとなり、より創造的な現実想像を引き寄せてゆく流れをみることになるのです。

さあ、今日のワクワクは、十如是についてご紹介させて頂くことです。それでは、先に進んで参りましょう。

一人ぼっちでの自分探索には限界が伴います

法華経のエッセンスを端的に表す教えとして

十如是の教えは、別名「略法華」ともいい、法華経の究極的な真意を表す一つのキーメッセージとして存在しているという解釈もあります。
違いということと、同じということが一見矛盾しているように見えても、実は、表裏一体となって存在、実在している表現として教えられているものと、今の私は解しております。

十如是とは

十如是(じゅうにょぜ)とは、『法華経』方便品に説かれる因果律をいう。十とは

相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等(そう・しょう・たい・りき・さ・いん・えん・か・ほう・ほんまつくきょうとう)
をいう。如是とは是(かく)の如(ごと)し(そのようである、という意)のこと。また十如とも、諸法実相ともいわれる。

なお、この十如是は鳩摩羅什が訳出した法華経にのみ見られるもので、他の訳や梵文(サンスクリット語)原典には見当たらない。
この十如是は、後に天台宗の教学の究極とまでいわれる「一念三千」を形成する発端とされており、重要な教理である。

「概説」
十如是とは、相(形相)・性(本質)・体(形体)・力(能力)・作(作用)・因(直接的な原因)・縁(条件・間接的な関係)・果(因に対する結果)・報(報い・縁に対する間接的な結果)・本末究竟等相(相から報にいたるまでの9つの事柄が究極的に無差別平等であること)をいい、諸法の実相、つまり存在の真実の在り方が、この10の事柄において知られる事をいう。わかりやすくいえば、この世のすべてのものが具わっている10の種類の存在の仕方、方法をいう。

十如是とは

如是相から如是報までの九つの教えについては、特に説明を要することもないでしょう。しかし、最後の【本末究竟等】の説明は、もう少し補足説明させて頂きます。
また、立正佼成会の開祖の著書に、そこに該当する部分をご紹介致します。

その本質においては、初め(本)から終わり(末)まで、つまるところは等しい(究竟等)空(くう)なのです。

引用先は、こちらから

前回、縁起の教え(因縁果報)を学んでみましたが、この十如是については、この人間社会で、この現象世界の振り返りをする一つの物差し、基準として、捉えてみましょう。

すべてのものには、姿があり、性質があり、個体性があり、その個体性に能力と作用する何がしかがあり、その相・性・体・力・作が原因となって、諸条件に触れて、変化する結果を生み出し、その結果に伴う何らかの影響が生まれるということです。

いつでも、どこでも、だれにでも、この法則が当てはまりますので、最初から、最後まで、突き詰めてゆくとその法則の元に等しく、例外なく、現象世界は展開しているということです。

それで、もし自分自身が諸行無常(変化)と諸法無我(関係)の活用がうまくいかずに、悪い関係が生じ、悪い変化を起こしているのであれば、その原因となる私のことを見てみましょう。

特に「性」という部分について、よくよく見極めてゆかなければならないのです。
その際に、より連動させて確認すべき教えが、「十界互具」でありました。

この十如是の「性」をより詳しく振り返るために、私は、十界互具の中で、特に六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)というそれぞれの心の状態を照らし合わせてみてみることを意識していました。

結局、妄想・執着が原因です。肉体の自分・エゴの私さえ良ければいいとか、自分と自分以外の何かを比較して、比べてしまったことによって起こりうるストレスを抱えてしまう。全く滑稽な話なんですが、自分の考えている何かが原因で、自分自身を裁いて、自分で苦しんでいる。

自縄自縛とは、よく言ったものです。

しかし、その自分自身が自分に課している「考え」「意識・心」が本当に、分かっていても変えることができるのでしょうか?

「否」、人間には分かっているけど、やめられないという癖・習慣・個体性独特のパターンを持っていたりするのです。
大体、そのプライドや、こだわりが突き詰めていても、いざというギリギリの切羽詰まったところでバーンと登場して、すべてのことを、破壊し、分離させ、一つにならないように、舵を切ってしまって、人間は苦労をしたくないと言いつつ、何度もそのパターンで苦しみ悩む「心の癖」をお持ちになっていたりするのですから。

風よりも自由な存在になりうる

風よりもより自由なところへ

風の伝説になる。この言葉のフレーズを読んだ時に、本当に歓喜と感動を覚えたのを今でも決して忘れることはできせん。自分のために、心を知り、自分の楽さが自由な風を起こす起点となり、他人をも自由さに意留まらせることを可とする…

「悟りの錬金術―私を通して至る自由―」

心の修行は自分のためにするものです。自分で責任をとる人生を生きることです。
そのための修行なのです。聖者たちはみな、自分の人生に対して責任を取って、自分を完璧に理解して、自分の生を生きた人々です。(P127)

愛する人よ、
心を思いきり開け放してみよう。
風がこころゆくまで君の存在を通り過ぎるように…
君のすべての考えを吹き飛ばすように…
風にすべてを許してみよう。

そして、ついに風さえ透過する、
風よりも自由な存在になってみよう。

そして、そんなふうに、君は
風の伝説になるだろう。(P122・123)

「悟りの錬金術―私を通して至る自由―」

私が私を完全に理解をする。そこからエゴの私のことを受容し、受け入れ、取るに足らないプライドがコントロールできないような現実とはおさらばできてしまったりするのです。
私は、本当に偉大な私と出会うと、それ以外の自分は本当に大した害にもなり得なくなってしまうのです。

自覚して、私を理解して、私を生きることは、最も重要で、かつ、楽に自由さを体験できる人間に回帰する道なのですから。

今日も最後まで、お読みくださいまして、誠にありがとうございました。
また、このコラムにてお愛できますこと、心より楽しみにしております。