更新日:2020-09-16 自己紹介雑談境大雅起業家宗教家精神世界スピリチュアルキャンプ野外活動

学生時代から始まった特別ルート(高校・大学生時代)

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WRITER 境大雅(さかいひろまさ)
代表取締役
日本の覚者として、大自由を生きる 大学卒業後16年間、宗教家としての経歴を経て、2011年7月New Reality Inc.を設立。 スピリチュアルケアマスターとして、日本における覚者の一人として、 日本人の覚醒をサポートする一役を担っています。 また、101キャンドルライト(株)代表取締役、 別法人キャンドルライト内では、師より「生きた釈迦のようでありなさい」との願いの元、ID【三寶:サンボ】を授かる。 *注:三寶とは、佛宝・法宝・僧宝の三つの宝である三寶帰依に由来しています。
学生時代から始まった特別ルート(高校・大学生時代)

学生時代から始まった特別ルート(高校・大学生時代)

ハワイ・オワフ島(2017年撮影)

昨日、深夜に書き上げた文章の繋がりで、現在自分自身の歴史を再確認、再統合しているプロセスを歩んでいるように感じてなりません。

2015年、本を書いたことがきっかけにして、「自分史」「自叙伝」を45歳で書いてしまったこともあり、それなりに私の中では、自分自身への整理整頓が済んでいたと感じていましたが、こうして、文字制限がないところで、また、時間制限もない状況下で、私と向き合ってできることは大いに違って、大いに面白い作業になってしまいました。

仏教のことをいろんな角度で、書いてゆくのは後々にするとして、今は発信者である私がどういう人間であるかを、いろんな観点から表現することを優先したいと思って、文章の書き方や内容を変えてゆくことにしました。

読んで頂いた方には、いろんな思いやご自身のことを振り返るきっかけにするかどうかは、ご自由になさって頂いて、単純に私の長い自己紹介のコラムにお付き合いいただければ幸いです。

リーダーとしての資質を引き出してもらって

私個人的な特別カリキュラムがあったんだなと…

さて、自分自身の高校・大学時代の経験を改めて振り返ってみた時に、私の中でひとつ大きな分岐点となってゆく出会いがあったことを思い出しました。

私が所属いていた拠点(教会)では、全国239拠点からある施設の中で、唯一と言っていいほど珍しく国定公園付近(内かは不定)に山を所有していたようで、そこでキャンプ場ができうる環境を揃えて、自教会だけではなく、愛知県の学生年代に教育を施すために、本部の専門的な知識を要する人たちをも巻き込んで、プロジェクトがなされていたようでした。

その環境下にいたおかげで、私は夏になりますとそうした野外のレクリエーション、野外キャンプを使った集合教育に必ず参加できるようになっていましたし、また、大学生になってからは、企画運営側にも参画するようになっていました。
ナタの使い方、火の起こし方、野外活動をする上での留意点。野外での集合教育としてのコンテンツ、企画運営、後輩育成のあり様等を直接専従者のやっている姿をみながら、教えてもらえる貴重な体験ともなっていったのです。
特に、大学生になってからは、企画者として、進行役や、裏方の世話役などをしながら、実際に大学4年生の時に、日本レクリエーション協会の野外活動の資格をとりに、山梨の本栖湖まで集合教育を受けにいったこともありました。(その資格は数年保持して、放棄してしました。)

思い起こせば、高校生の時にはそのエキスパートであるKさんUさんとの出会いも、その後の人生で違った立場で、関東や東北で出会いを再び重ねてゆく人たちでもありました。

高校一年生から20歳になるまでには、立正佼成会の青年育成の専従者との出会いが、気がつけば5−10人ほどいろんな立場や教育の現場で触れ合って頂く機会が増えてゆきました。
一番、決定的になったのが、大学1年生の時に、中部(愛知・岐阜・三重県)の単位で主宰されているフィリピンへ行く「大学生の翼」という名称で開催された教育に参加したことでした。
その夏休みに経験してきた一週間ほどの行程では、日本軍の戦没者の慰霊供養、実際の戦績訪問、ユニセフ教会に寄付して立正佼成会がサポートしている孤児院や青少年対象の施設慰問・訪問、第二次世界大戦時の戦争犠牲者のお墓(日・米•比)、そして、バターン半島にある先達の方が切り開いて下さったとあるキリスト教系の地域団体との親交を深めて下さったおかげで、同年代の方との交流や民泊経験をする機会に恵まれました。

高校生の時に、沖縄へ実際に赴き、戦争の犠牲者として沖縄の方々が被害あった戦績、戦争体験者との出会いをしてきましたので、被害者としての日本の戦争の足跡を学んでいました。

しかし、日本から出て近隣のアジア圏に住む人たちにとっては、太平洋戦争という経験は、共に戦った戦友という立場で捉えてくれる国よりも、日本軍に占領されて被害にあった人たちがいる国の方がほとんど全てであります。

もちろん、フィリピンもまた、その犠牲を強いられた経験があり、実際にその当時日本軍によって殺されてしまわざるをえなかった父や母、祖父母をみて育った世代の人たちが、今の時代を生きていて、その人たちはもう完全に定年や引退の世代になり、もうひとつ若い世代に移行しているタイミングで、私も気がつけばフィリピンの交流には、8回ほど、中部時代、本部の青年担当教務員時代に伺うことになりました。

過去の先輩たちは、交流を求めて出会いを始めた際には、腐った卵を投げつけられながらも、諦めずに、関わり続けて下さったという記録もあります。
殺された側の人たちからの許しを得て、交流が始まり、そのことが今でも継続されている恩恵を受けた一人でもあります。

専従者の道へ進むことを覚悟する(大学3年生)

大学1年生、フィリピンへ行くという経験をしたことで、その経験を踏まえて、その地域の大学生リーダーから、トップリーダーとしての役割を求められることは一切考えておりませんでした。

しかし、東京から大学生のために来ている専従者からのオファーを頂いたことで、私はその他大勢の大学生の一部員だったはずが、突然年間を通して大学生の活動の中核を担う役をしてみないかという展開に変わってゆきました。
もともと私の所属している拠点だけでは触れ合うことができない人や情報がとても新鮮で面白さを感じたで、できるだけ私はその学んだことを実践し、後輩に伝えて行けるように、名古屋の事務所と、選抜される本部の教育へ積極的に出るようになっていきました。

本部、そして、中部の拠点長(教会長)の中で大学生の面倒を見てくださる方々が、その都度都度たくさんいていただけたおかげで、私はいろんな教育や会議、別途個別での教育指導のチャンスに触れることになってゆきました。
気がつけば、私だけが専従者の人たちからマンツーマンで教えてもらえる所まで、通い詰めて、専従者の方が担っている部分の研修講師だけはお願いしましたが、とにかく、それ以外の業務はできるだけ自主独立して、専従者の負担を減らすべく、マネージメントができる力量をつけることに最大限の力を込めて取り組んでいました。

詳しくは、各イベント教育の開催通知、実施報告書等書類作成、現地会場との調整、中部3県にいる大学生たちの状況の把握(参加状況や各自のモチベーション等)、イベントごとで発生した少額の会計処理など、組織の中で、活動をしなければならない調整業務についても理解し、大学生だけが集まって勉強できる環境作りに尽力する大学生でありました。

おかげさまで、集合教育を実施する上で、イベントの開催だけではなく、諸準備や調整を裏方側でも担えるところまでやれるようになっていましたので、その後、20代後半で私も職員として同じような業務を遂行する際に、過去の経験則で切り盛りできるところまで先回りして、勉強をさせて頂いていたんだと、後々しみじみ感謝している自分がおりました。

また、少しタイミングがのちの出来事になるのですが、私の同期が私が大学生活動を引退した3年後(私が26歳になった頃です。)、名古屋の教会に4ヶ月ほど布教実習をする機会があり、私が知っている後輩たちの面倒を少し見てもらえたようです。
その際に、彼らがそれぞれ口々に言って下さっていたのは、「大学生であれだけのことができたのは境さんだからで、その後をそのまま引き継ける人たちはいませんでした。あの人は凄かったと」と、後々東京に帰ってきてからそんな話をしていたと同期から報告を受けたのです。
そうした大学生の活動の内容、そして、人材育成のあり方のモデルケースを作ったことで、その後、四半世紀たった今でも、後輩たちが想いを継承し続けてくださったおかげさまで、全国で一番有名な地域として存在してくれています。

本当に面白いこと続きのストーリーなんですが、そのタイミングで、80年以上の歴史のある教団で、たった一度だけ7000人を集めて開催できた大学生大会がありました。その大会の中で、中部の大学生たちが代表して「会長先生ヒストリー」という劇に出演することとなり、私が主人公である2代目の会長の役を務めたことで、その時代の大学生リーダーの中でも特別有名な存在として、教団の新聞にも特集を組んで頂いたりして、私の名が通ってしまったようです。私は全く知らないのですが、「中部の大学生、CDI(*大学生の地域委員会組織の略名)の境」として相手が知っているという状況でした。
(この時の記事があったおかげで、2011年何の記録も持ち合わせていなかった状況下で、私が改名する資料として大きく貢献してくれたのでした。)

また、その当時、私は本当に珍しい動きをしていまして、他の地域で活動している大学生たちと交流を持ってみたいと自発的にお願いでて、自分の地域の活動以外に、わざわざ参加者の一人として出かけたりしていました。
昔中部でお世話になっていた青年教務員(青年を担当している専従者の役名)さんたちに依頼をして、埼玉県、神奈川県他、本部の方で選抜されてトップリーダーが集う機会には積極的に行くようにしていました。

そうした意識で、大学生をしている私はやはりとても珍しかったこともあって、いろんなところで専従者である青年教務員をはじめ、各地域にいらっしゃる教会長さん方にも、スカウトされるようになっていったのです。

大学3年始まる前には、私もその覚悟を決めて、その道へと進むことを誰にも言っていませんでしたが、専従者として私も青年教務員という役を担って、青少年、後輩育成に取り組んでみようと決めたのです。

そして、ちょうどそのタイミングで、家族の問題が顕在化されていったのも、やはり、私の決めた決意に応じて、いろんな未解決、保留になっていた境家のカルマと向き合うことになっていったのです。

今日も最後までお付き合い下さいまして誠にありがとうございました。

また、近いうちに、こちらのコラムにてお愛い致しましょう。