更新日:2020-09-16 自己紹介雑談境大雅起業家宗教家会社法人代表精神世界スピリチュアル高校時代

人生最初の挫折を経験する(高校時代)

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WRITER 境大雅(さかいひろまさ)
代表取締役
日本の覚者として、大自由を生きる 大学卒業後16年間、宗教家としての経歴を経て、2011年7月New Reality Inc.を設立。 スピリチュアルケアマスターとして、日本における覚者の一人として、 日本人の覚醒をサポートする一役を担っています。 また、101キャンドルライト(株)代表取締役、 別法人キャンドルライト内では、師より「生きた釈迦のようでありなさい」との願いの元、ID【三寶:サンボ】を授かる。 *注:三寶とは、佛宝・法宝・僧宝の三つの宝である三寶帰依に由来しています。
人生最初の挫折を経験する(高校時代)

人生最初の挫折を経験する(高校時代)

記録写真がほとんど残っていません。

冒頭の写真は、九州の宮崎の叔母さんの家に伺った際にみんなで撮った写真の切り抜きです。おそらく3・4歳だったのだろうと記憶しています。

ほとんど小学校から30代後半になるまでの写真を保存していないため、私にとっては自宅に帰った際に見つけた貴重な写真の一つになっています。
思い出せば、3・11以降に自分の荷物を捨てる際に、本当に多くのものを捨ててきたので、仕方がありません。

特に、若かりし頃の写真がなくても、大丈夫です。

思い起こせば、この度の京都生活は、4回目の新しい人生のスタートです。
学生時代(自宅)、宗教家、起業家、京都での自主独立生活と、たくさんの変化を自分自身は経験してきました。
ここまで自分を変えるために環境を大きく変えることを厭わずにやり続けてきて良かったと思うことばかりです。

それでは、今回は高校生から浪人生の頃の私の経験を表現してみたいと思います。
お付き合いのほど、よろしくお願い致します。

半月板の損傷がきっかけになって転機を迎える

さて、私が自分の人生の中で、思い通りにならない挫折の経験を初めてしたのは高校1年生の5月でした。高校は自分の成績よりも背伸びして進学校である父が通っている高校に合格して、女子のバスケ部顧問をしている父がいる状況下で、私は中学と同じ部活である男子バスケ部に入ったのでした。
高校1年生でありましたが、身長が同学年の中でも1番大きい176センチあったのと、親が親でしたのでそれなりの期待とプレッシャーを感じながら、基礎体力作りと基本のバスケットならではの動きを繰り返していた最初の1ヶ月で、私のひざの内側である半月板が損傷して、一年間ほとんど毎日接骨院通いをする日常へと変わってしまいました。

いつも膝に湿布ではないのですが、似たようなものを包帯で巻いた状況と、膝のサポーターを使って、多少無理して、部活に行ってみたりしたのですが、やはり、膝が痛くて、まともに走ることすらままならない状況となりました。
同学年の部活のメンバーからは、早く復活するように何度も声をかけてもらったものの、治療自体は損傷した箇所が痛いうちは電気治療とリハビリをするしかないことと、いつ痛みがなくなるかは見通しが立たないとの診断でありました。

自宅と高校の行き来しかできない悶々としていた私の心を察した、私の母親は佼成会の少し年上世代である大学生のYさん、Wさんという方に声をかけてもらうように促しをしていて、そのうち自宅に会いにくるようになり、それが度々続いたのでした。
当時、その人たちが中心になって私の所属する教会にて毎月一回土日に高校生年代のお泊り会を企画し、世話役を担ってくれていた方々だったのです。

自宅にいても気持ちが晴れないだろうから、違った環境の同じ世代の人たちが何人か集まるから一度見にきて貰えばというリクエストに、私もしぶしぶながら他にやることもなくなってしまっていたこともあり、行きは車で30分ほど離れた拠点に親に送ってもらい。帰りはそのYさんかWさんが必ず自宅まで送り届けて下さっていたのです。

実は、高校に教師として親がいることもあり、あだ名は問答無用で「Jr・ジュニア」と言われていました。それがとても息苦しくて、勉強も下から数えて、三分の一程度の順位・学力で、運動は全くできずに見学ばかりしていましたので、なんとも楽しくはない思いをしながら、高校生活を送っていたことを覚えております。

正直、自分は同世代の人たちとの会話をするよりも、一つでも年上の人大学生であれば数才年上の人たちもいましたので、20歳を超えた大人の人たちと会話をすることが楽しかったのです。また、別に高校生の先輩女性に憧れていたので、そうした純粋ではない動機で、そのイベントに通っていくようになっていったのです。

当時、その拠点の責任者(教会長)である方と、私の祖母(*立正佼成会の会員ではないです。)が従姉妹か又従兄弟という関係もあって、その拠点(仏教の教団施設でも教会と言います)に行くたびにお声をかけてくださり、いろんな大人世代の人たちにも、面識ができるようになっていったのです。

そうした活動に積極的に参加するようになり、高校1年生の時に、そ一教会から男女1名ずつ計2名枠の推薦を頂いて、東京から1週間ほどフェリーでの往復しつつ沖縄の平和教育に参加することになりました。いよいよその環境下の中で、全国の高校生年代が集う場に高校1年である私も参加することになってゆきました。全国高校生リーダーが239拠点から2名ずつ、スタッフを入れますと600から700名近い人数が集まって、春は東京青梅の施設、そして、夏は晴海港から沖縄を往復するフェリーを貸し切っての教育へ参加することなりました。
その当時、教団では青少年育成に力を入れていた頃と、ちょうど私が学生としていたタイミングとがドンピシャだったこともありまして、特別にいろんな経験をするができました。

では、その当時どんなことを学んでいたのか簡単に紹介してみようと思います。

当時、小学生が仏さまの像の前で唱えていた誓いは、「私たちは神さま仏さまを敬い、人には親切礼儀正しく、親孝行な子になります。」だったような気がします。
(そして、ずっと後に変更されるフレーズではあるのですが、)
みんなで食事をする際には、「仏さま、自然の恵み、多くの人に感謝して頂きます。」と唱和してから食べるようにしていました。

そうした心の醸成を養えること、道徳心だけではなく、宗教的な情操教育を施されることに、普段の高校生活よりも、何か違った学びができることで、段々と私の価値観や価値基準に、立正佼成会で学んだ教えが影響してゆくようになっていったのです。

よく、教団のことを知らない人に対してどう説明をする時に必ず出てくるキーワードがあります。
ここでは、「先祖供養・菩薩行(仏の悟りを目指しつつ、人さまのために貢献する)・親孝行」を学んで実践するところです。と。

そうした学びを深めていきながら、自分の性格が積極的になったり、大学生の人たちと交流を続けてゆくことで、私が成長している姿を見るのが、特に母は嬉しかったようです。教会に行くっていうたびに、喜んでくれていたので、親孝行の一つとして、教会に足を運ぶようになっていったのも否めないところでした。

私にとって立正佼成会の教会に通う一番珍しい経験は、朝と夕方に30分ずつ、みんなでお経をあげるということだけは特殊なことなんだとは思ったりしていましたが、概ね私には他のところに行くよりも、心地がよく、面白かったので、足繁く通っていたのです。

甘く考えすぎていた大学受験、浪人生活へと

勉強がさっぱりわからないまま受験に失敗する

高校2・3年生になってからは、立正佼成会の活動に平日の夜や土日に何がしかの行事や会議などが行われる時に、毎回出席ではなくとも、よく顔を出して、協力できるところはするようになっていました。

それと同時に、思いっきり大勘違いをしていた私は、「徳を積んでたら」なんとかなるだろうと、努力もせず、さっぱり勉強がわからないまま、就職が決まった数少ない同級生のうちで、ファミコンの三国志のゲーム等にハマっていました。学校を終えたら、ゲームをして、夕食の時間になる頃に帰宅する。

予備校が主催として開催される模擬試験は、本当に目も当てられない成績でありました。先生が授業で話している内容は理解できても、暗記言語を覚えて、その問題にあった答えを導き出すという受験勉強は、皆目手のつけようがない状況のまま、受験に失敗し、浪人生活が始まりました。

自分の学力の低さをよくよく理解せざるを得ませんでしたので、両親に予備校に通う場合は、国公立大(特に愛知教育大)は無理なので、文系の私立大に絞り国語_英語・世界史のみ勉強をすることを許可してもらって、予備校の講義を受けることとなったのです。
自宅から最寄駅の岩倉駅は自転車で10分、岩倉駅から名古屋駅までは当時30分弱で、家から出たら標準レベルの各科目の講義を選択し、残りの時間は自習室で勉強をしながら、やっと私立の大学を受けられる偏差値50〜55くらいにはなっていました。

しかし、結局10の東京と名古屋の大学を受験し、第8希望の名城大学商学部のみ合格し、そこに行くしかありませんでした。
正直、わざわざ予備校に行ってまで行くところではないと、一年前の自分の力量を忘れたかの如く、不満を持っていて、もう一年浪人するかどうか少し悩みましたが、そこまでしていきたい大学があったわけでもないので、経済学部で、社会科の教員の免許を取りながらいけばいいかと思い、その大学に行くことを決めました。

これもまた、面白い道のりで、私は大学時代は実家から大学に通う選択をしなければ、その後の人生の道のりが始まらなかったと言っても過言ではありません。

大学時代の経験についてはこちらのコラムに若干触れている部分がありますので、ぜひ改めてご覧ください。

それでは、今日も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
また、近いうちにこのコラムにてお愛できますこと楽しみにしております。