更新日:2020-09-10 仏教四諦の法門苦の解決苦諦集諦道諦滅諦

問題を解決する所からがスタートです。

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WRITER 境大雅(さかいひろまさ)
代表取締役
日本の覚者として、大自由を生きる 大学卒業後16年間、宗教家としての経歴を経て、2011年7月New Reality Inc.を設立。 スピリチュアルケアマスターとして、日本における覚者の一人として、 日本人の覚醒をサポートする一役を担っています。 また、101キャンドルライト(株)代表取締役、 別法人キャンドルライト内では、師より「生きた釈迦のようでありなさい」との願いの元、ID【三寶:サンボ】を授かる。 *注:三寶とは、佛宝・法宝・僧宝の三つの宝である三寶帰依に由来しています。
問題を解決する所からがスタートです。

問題を解決する所からがスタートです。

苦悩をきっかけにして学ぶ教え

河口湖周辺にて撮影(2013年)

ありとあらゆる人たちは「自分が幸せでありたい」という願望や希望を抱くのは当然のことだと、私は思っております。
しかし、そう願っていたとしても、実際にそのために何を指針にして、何をどのようにしてゆけば、その願った自分を生きれるのか?
本当にその答えをつかみ、悟りを経て幸せな人生を歩んでいる人たちは、非常に稀有なことだと思います。

ですから、どこで、どんな風に、どうやって、自分の究極的な願いである「幸せ」であること、あり続けられることへの答え探しをしている精神世界におけるジプシー達がたくさんいらっしゃいます。
もちろん、それは精神世界や宗教の世界だけではなく、人間が誰もが願っている世界なのではないでしょうか?
しかし、結局は、いろんな道のりやプロセスを経たとしても、答えを自分自身の中から導き出せているかどうかが本当に肝腎要のところになりますから、そのコツにあたる第一歩を進めて参りましょう。

今日、学ぶ教えは「四諦の法門」です。

苦しむ、悩むことから私を変えようとするチャンスに

苦悩が未知なる変化への招待状??

先回のコラムにて、諸行無常(変化)諸法無我(関係)という二大真理を活かして、調和・循環・創造という宇宙の理のごとくに私を生きてみたらどうか?という投げかけをさせてもらっていると、私は思っていたりするのですが。

人生は本当に思った通りにならなかったり、逆に思ってもいないような想定外の奇跡の展開という経験もあったりするのが人生の醍醐味だったりします。
更にはできれば思い通りになる現実を引き寄せ、願った以上の豊かさや喜びを堪能し尽くせる人生にしてみたいと、贅沢に人は願ったりするのです。

しかし、そう願っても、そうなりきれないのが多くの人の人生なのかもしれません。

ちなみに、釈尊は、全く真逆の観点で、現実という世界を表現してくださっております。

つまり、釈尊は「苦」の娑婆、四苦八苦というのが現実だということです。
もう少し説明を加えますと、生・老・病・死、好きな人と別れる。嫌な嫌いな人と出会う。欲しいものが手に入らない。肉体を持つ以上は、苦から逃れられないのだから、中途半端に逃げ隠れせずに、向き合って、すべてを自分を成長させる。悟りを極めるチャンスにしなさいと、そう私は解していました。

では、実際にその教えの内容について触れてみたいと思います。

四諦の法門

四諦の教えは、釈尊(仏陀)が、初めて法を説いた時から亡くなる直前まで、一貫して説き続けた人生の真理です。人生に必ずつきまとう「苦(く)」について、〈苦諦(くたい)・集諦(しったい)・滅諦(めったい)・道諦(どうたい)〉という四段階に分けて説かれています。

「諦」とは、真理という意味です。「真理の諦(さと)り」という意味に用いられることもあります。

「苦諦」
どんな人にも苦はあります。人生の中で次から次へと降りかかる苦。そこから解放される方法はないのか?釈尊は大きな発想の転換を説きました。すなわち、苦は異常事態なのではなく、苦があるのが正常な状態、あたりまえの状態なのだと腹をくくるのです。「 人生は苦である」と悟るのです。 そしてその苦から逃げようとせず、向かい合うことが、苦からの解放の第一歩となります。

「集諦」
「集」(じゅう)とは、原因という意味です。苦に向かい合ってまず行うことは、その原因を見つけることです。釈尊は、すべての苦の原因は「渇愛」(かつあい)や貪欲(とんよく)であると説きました。「渇愛」とは色々な欲望の満足を求めてやまないこと、「貪欲」とは無制限にものごとをむさぼり求めることです。つまり、苦の原因を突き詰めていくと、それは渇愛や貪欲に基づいたものであったことに気づく。と説いているのです。その気づきが集諦の悟りです。
また、苦の原因を根本から探るのに適した方法として釈尊は「十二因縁」(じゅうにいんねん)という法門(教え)を説いています。

「滅諦」
集諦によって、苦はその人の心の持ち方、あり方によって生じていることが説かれました。ということは、心の持ち方を変えて渇愛を捨て、執着を断ち切れば、苦は滅するのです。この真理、悟りを滅諦といいます。

「道諦」
そして釈尊は最後に、苦を滅する道、方法を詳しく説きました。「八正道」がそれです。正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定からなる、八つの正しい道です。
すなわち、本当に苦を滅する道は、苦から逃れようと努力することではなく、正しくものごとを見、正しく考え、正しく語り、正しく行為し、正しく生活し、正しく努力し、正しく念じ、正しく心を決定(けつじょう)させることであると説いたのです。

四諦の法門

四諦の法門:「苦諦・集諦(しったい)・道諦・滅諦」

を言います。

中途半端に逃げ隠れをせず、しっかりと現実と向き合う覚悟
が、最も大事なことです。

人間的存在を繰り返し経験してきた思考を持つ多くの存在は、人のせいにしたり、状況のせいにする。更には、逃げ惑って何もしないという選択肢を、肝心な課題、テーマであればあるほどにしてしまったりするものです。

それだけ、人間は「自分を変える」勇気を持って、実際に変わるように自分を促せる人は本当に稀有なことだと、私は実感しております。
実は、先ほど強調した文章のところだけ、認識して、現実と向き合うことだけできれば、あとは自然となるようになってゆけるのです。

もちろん、真理に沿って、自分が努力や精進をしながら、いい関係を作り、いい変化の流れを創造してゆく、創造できてゆくのが当然のことと思えたりするのですが、特に、そうは言ってもなかなかうまくいかない。実際に、人間関係や現実生活において、思い通りにならずにいろんなストレスを抱えながら、生きているのが一般的な人間が経験している世界なのではないでしょうか?

逆に、先ほどの引用文の後に書いた「強調」した文をそのまま、その通りだと思えている人は、本当に稀有な世界に住む住人と言っても過言ではないでしょう。

現実に対して対処すると途端に私の心が迷宮入りします(笑)

最も重要視すべきポイントは何か

宗教家として、仏教徒として悟りの道のりは険しく、そして、達成可能な道のりなんだろうかと、正直思うことばかりでした。
実際に、本当に悟りを経て教えを用いて、自由に、楽に、幸せに存在している人と出会えてなかったので、雲を掴むような、お伽話の世界にしかないのではないだろうか?釈尊がいた世界や教えというものは…。

本当に、その当時の私はそう思えてならなかったのです。
実際に、生きた存在から学ぶ機会が得られなかったんですから…。「道を知って道をゆく。」または、「道は知らずとも道を知っている人と道を歩む」のいずれかでなければ、皆目見当もつけようがありません。心とはそれだけ深淵で、捉えずらく、見えづらいものなので…

しかし、いろんな情報を学んでゆきながら、どこだけをピンポイントに見ればいいのか。自分を知ればいいのかが、明確にされると霧が腫れたようにスッキリと自分との対話、自分への自覚を促せることが楽になってゆけたのです。そんなことを実感できる引用文を最後にご紹介致しましょう。

悟りの錬金術

私は…神の幻想で私を無視しないようにします。
私は…真理の幻想で私を迷宮に陥れないようにします。
私は…悟りの幻想で私を迷わせないようにします。
私は…解脱の幻想で私を拘束しないようにします。
私は…能力の幻想で私をみじめにしないようにします。
私は…精進の幻想で私を苦しませないようにします。
私は…修行の幻想で私をいじめないようにします。
私は…比較の幻想で私を萎縮させないようにします。
私は…幸福の幻想で私を不幸にしないようにします。
そして、私は…「私」の幻想で私を取り替えないようにします。(P80・81)

この世に神秘の次元が在ると聞き
神秘の果てまで行ってみたら、
そこには「心」という神秘の次元が在りました。

この世に超越の世界が在ると聞き
超越の果てまで行ってみたら、
そこには「心」という超越の世界がありました。

この世に仙術の境地があると聞き
仙術の果てまで行ってみたら、
そこには「心」という仙術の境地が在りました。

このすべてを可能にする偉大な錬金術、
まさに、私は「私の心」を持っていたのです。(P198・199)

悟りの錬金術

ほんとうの賢明さと智慧で自分を見る人が身近にいるとだんだんと自分の中が感化され、自分の中にもその自分があることを確かにし、そして、その智慧深き、深淵なる私の心と出会う、再会することになってしまうんです。
私が私への理解を、真摯に、霊性に、深めることができさえすれば…。

私が一体だれなのか?
その答えが私を通して見えてきた時に、「自由」「神秘」「神聖」という心を私の中に見るしかありません。

何をするかではなく、誰とやるかで、人生は変わります。どんな出会いをして、自分を目覚めさせてゆくのか、本当に本当に大事な肝にあたるポイントです。

今日も最後までお付き合いくださり、誠にありがとうございました。
また、近いうちに、このコラムにてお愛できますことの楽しみにしております。