更新日:2020-09-25 自己紹介雑談境大雅起業家宗教家精神世界スピリチュアル自覚マスター師匠MasterGate

機が熟す時…

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WRITER 境大雅(さかいひろまさ)
代表取締役
日本の覚者として、大自由を生きる 大学卒業後16年間、宗教家としての経歴を経て、2011年7月New Reality Inc.を設立。 スピリチュアルケアマスターとして、日本における覚者の一人として、 日本人の覚醒をサポートする一役を担っています。 また、101キャンドルライト(株)代表取締役、 別法人キャンドルライト内では、師より「生きた釈迦のようでありなさい」との願いの元、ID【三寶:サンボ】を授かる。 *注:三寶とは、佛宝・法宝・僧宝の三つの宝である三寶帰依に由来しています。
機が熟す時…

機が熟す時…

我が夜明け前に至る

おかげさまで、着々と自分自身の本来の願いに沿って、歩んできた波乱万丈と思える人生経験を経ながら、私は私にとって必要な学びの段階を踏んでステップアップを、バージョンアップをしてきたのだとおもえてなりません。

一見、「一寸先は闇」と思えるような現実を引き寄せながらも、ちゃんと心の羅針盤にしたがって、その時々の出会いや変化を通して、光の導かれるがままに歩んでこれた奇跡的な軌跡と、私は私の歩みをそのように受け止めております。

結局、自分自身が遠回りをしながらも、本当の自分自身への理解をしたいがために、ただただ枯渇するくらいの思いを抱えながら、求道心をもって歩んできた道のりは、決して無駄なことはありませんでした。

おかげさまで、宗教界で理性的に体系的に必要な悟りに関する情報を把握することになり、そして、精神世界に入ってみて、何よりも自分自身の意識・意志・心・考えという根本原因にスポットを当てて、自分を楽に、自由に生かせてみることで、感性が磨かれ、心が耕やかされて、着々と準備をしていたのです。

そうした機が熟すが如く、現実が大きく変化していった2016年の出会いから始まった学びを中心に今日もコラムを書いて参りたいと存じます。
ではでは、よろしくお願い致します。

全く知らない自分を知るきっかけを…

師とめぐりあえるという奇跡を…

キャンドルライトのマスターゲート師に初めての出会いを頂戴したのが、2014年1月スピリチュアルTV故テデイさんからの対談番組配信へのオファーを頂いて、当時センターのある東京の青砥に伺った時でした。

その当時の映像はこちらから。

バシャールから自分自身を変えてゆけば、その絶対調和の次元で会うべき出会いが生まれるとも言われていたことが、この時に始まったのでした。

実際にその時に感じた感動と、感触は本当に私にとっては大きな大きな印象が残り、その後、ビジターではありましたが、キャンドルのワールドツアーに数度にわたってご招待を頂いて、講話や懇親会、懇談会等に参加させて頂くことが続きました。

そして、2016年1月にキャンドル法人の代表を担ってもらいたいというオファーを頂いたタイミングの後に、一道伴(弟子)として、初めて私の人生において師匠という存在に出会ったのです。

正直、私は過去生の記憶もほとんど思い出せていませんし、また、どんな過去生を歩んでいたのかというリーディングを受けたこともありません。
私も、いろんな機会を頂く中で、師匠から私個人に対しておっしゃった記憶に残っているエピソードを書いてみたいと思います。

「人相学から言えば、ものすごい財運になる金運を持っている人が一人います。今はそうでなくても大きなお金を扱うようになる。自分が願っていなくても、そういうものを見ると、生まれつきというものがあると思う。宿命的に、運命的に大きなお金を扱うようになる。ヒロさん、あなたは典型的な財閥の人相の方なんですよ。これから必ず来ますよ。
ヒロさんは、現実的な王になるために来た方です。(略)
どのような形態であろうとも、この世に大きく影響を与えてゆく運命でやってきました。そういうカルマをもってこられました。」(2015年11月5日セブ島日本人懇親会)

基本的に私と師匠との会話をする際には、必ず通訳を通して行われているのですが、若干簡単な会話であれば英語を通して、散歩の途中や、講話や会食時の少し空いている時間でのやり取りをすることがあるのですが、いつも私が話しかける英語の内容ではなく、その発音に対して、「英語の発音が素晴らしい。」とよく出会った頃から、英語で話しかけるたびにそうおっしゃって下さっていました。そして、私が弟子になってから、「私はヨーロッパでの転生をしている経験があるので、英語の発音がきれいにできるんだ。」と仰ってくださいました。
面白いもので、そのような話を聞いてから、そのことに同意する気持ちになっていくことと並行して、自然と多少なりとも英会話をすることができるようになっていますし、聞くだけではなく、話をする際に、英語の言葉が出てくることがだんだんと自然になってきているのも、とてもうなずけてしまっております。

また、違った機会に、私を最初に出会った際に感じたことを、少し前に教えて頂きました。「過去生、私は法曹界に生きていた人生を歩み、本当に辟易するほど人を裁いた経験から、もう次の転生では、全く違った道である悟りを求めて生きたいと願って生まれたきた。」ということでした。
たしかに、私はとても中立的に人間関係を結ぶことを意識していました。そして第三者からの意見をうのみにせずに、直接出会いがあった印象を大事にして信頼を紡ぐことを大事にしてきました。それ共に、常に状況を客観的・俯瞰的にとらえてものごとを判断する個性があり、とても自分を含めて状況を整理することに今世では役に立てているひとつの私の性格だと思っております。

そして、また、(日本人に転生してくる存在は、多くの場合日本での転生を繰り返しているのだけれども)「私の場合、今世なすべきことがあり、日本人として転生をしてきた魂であること。」と伺ってから、改めておもったことがありました。
それは、たしかに、私は183センチという長身で、欧米人っぽい体系をしています。また、内面的な部分にしても、正直に率直に表現し行動するようにしています。そのため日本人っぽくないと、日本人以外の方に言われたりすることもあります。
自覚を通して、私は今世、日本人の肉体に、日本人としての精神性を兼ね備えて、成すべきことがあるのだと、私の正体性と輪廻転生における目的を思い出してゆくことで、新しく見えることや感じることが大いにあります。

こうして、今までの自分自身だけで挑戦してきた悟りの道も、全く違った観点や、情報を通して、自分の中に育ってなかった領域や、自分が知らない自分を見出し、育ててゆくには、師匠の存在なくしては、決してあり得ない学びを経験しています。

私という存在の偉大さ触れている喜び…

私が私自神と共に生きる確信へと…

私が、師匠との出会いを通して、学んだことを簡単に申し上げますと、
「観えていなかった全体像を俯瞰し、見つけられていなかったひとつひとつの肝心かなめなピースを揃え、『私という正体性』というジグソーパズルが仕上がった。」と言えます。

昔、韓国の先輩仏陀から悟りには3つの段階があるということを教えて頂いたことがあります。

(1)理性・(2)感性・(3)悟性

という3つの悟りを言います。

頭で理解し、自分の感性・感覚を素直に動かせて、
いよいよ私の正体性を悟ることへの体感を起こせたと
今の私は実感しています。

私も人生の中で、「ホップ」・「ステップ」・「ジャンプ」の3つの段階を超えながら、やってきたんだと思えてなりません。

私は基本的に釈尊の教えの内、重要な部分を学びましたが、全体ではなく一部しか学んでこなかった存在です。
そこから、次に、私は宇宙の情報を学ぶことで、違うプロセスから悟り・覚醒というものの感覚を思い出す経験も加えることになりました。
(でも、ワクワクだけでは自我やエゴという不安定要素を完全に昇華させ、乗り越えることができなかったのです。)

そうしてこそ、やっと自覚に巡り合い、その三つのステップを踏まえて、本当の自分・自分自神と共にある「心」を取り戻せたと、実感しています。

そして、ここからは、また違った観点で、補足してみたいと思って文章を書き進めてゆきたいと思います。
私が直接師から学ぶことの中で、釈尊だけではなく、イエスさまを始めとしたこの惑星で目覚めを伝える役を担った存在たちの教えてこられたエッセンスを教えて頂きました。

この惑星地球に住む存在たちが覚醒に至るために用意されているステップは、釈尊が残された教えの真意、イエスさまが残された聖書の真意を、見出し、見抜き、自分が使いこなせなければ無用の長物になってしまします。

その未だあぶりだされていないような「肝心かなめのポイント」に触れて、その答えが秘められている「自分」「心」に対する関心を持ってゆく深さと共に、自分の中から導き出されてゆく「叡智」を感じてしまうところまでつきぬけてゆかねばなりません。

自覚の教えがすばらしいとか、私の師匠がすばらしいという自分以外の外側に存在するなんらかのこと、存在への賛嘆ということに甘んじることなく、究極に至るためのその先に向かうべきものがあるのです。

もちろん、自己の霊的進化の過程の中で、フィードバックするための存在として、他の人間である仏陀との対話をすることはとてもとても重要な役割であります。
仏教徒になるために、最初に学ぶべき教えとして存在する、三寶帰依(仏宝・法宝・僧宝)は必要不可欠な教えであることは間違いのないことですから。
しかし、その先に向かう一つの指針として、残されています教えをフルに極めてゆくのです。

一体私が誰なのかという自覚が進んでゆけば行くほどに、自分自身の心、自分という存在の本質、本性を見いだせます。

その悟りが進化すればするほど、自灯明・法灯明(自らを灯とし、法を灯とせよ。)という仏陀としての究極の悟りに至る存在として、自主独立しながらも、調和的創造的な自分を存在させる自己に巡り合ってゆくことになっています。

私は師匠という存在、そして、その師から学んだことがきっかけになって、私自神との再会を果たしてゆくに至りました。

偉大なる師は、弟子の偉大さを目覚めさせることを可能にするのです。
私は、私自神と共にあるという醍醐味を体感してみたいという切実な「思い」だけは、ずっと生まれる前から持ち続けていた存在であったのだと思えてなりません。

その時々の私は不完全で、未完成でありましたが、その自分と共に歩み導いてくれていた完全たる私との二人三脚で、この観点と境地とに至ったのだと実感しています。
受け取ったのであれば、それを渡してゆけることを可能にするかどうかは、私の今後の自分次第と感じております。

今日も最後までお付き合いくださり、誠にありがとうございました。
また、近いうちにこちらのコラムにてお会いしましょう。