更新日:2020-09-21 自己紹介雑談境大雅スタバ起業家宗教家仏教徒仏教精神世界スピリチュアル

じれったすぎる日々に…(36~38才)

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WRITER 境大雅(さかいひろまさ)
代表取締役
日本の覚者として、大自由を生きる 大学卒業後16年間、宗教家としての経歴を経て、2011年7月New Reality Inc.を設立。 スピリチュアルケアマスターとして、日本における覚者の一人として、 日本人の覚醒をサポートする一役を担っています。 また、101キャンドルライト(株)代表取締役、 別法人キャンドルライト内では、師より「生きた釈迦のようでありなさい」との願いの元、ID【三寶:サンボ】を授かる。 *注:三寶とは、佛宝・法宝・僧宝の三つの宝である三寶帰依に由来しています。
じれったすぎる日々に…(36~38才)

じれったすぎる日々に…(36~38才)

時間的自由さと空間的不自由さのはざまで

セドナ(2011年撮影)

いよいよ自分自身の人生のタイムラインの中で前にいた教団の歩みを描いてゆくのが最後のトピックになる三重県での過去について書いてゆきたいと思います。

本当にここでの業務は非常に精神的に負荷がかかる瞬間がいろいろとあったはありましたが、実質の労働時間があまりにも少ない環境でしたので、本当に私のために次のステップをどうしてゆくかを、試行錯誤する、自己の錬磨研鑽をするにはとても贅沢な時間を頂けたと思うしかありませんでした。

そうでも思わなければ、私の心はせまい三畳くらいしかない事務所で就労時間のすべてを過ごすには、耐えられない時間であったことは確かです。
決して、制限の枠内にある、自由さのある「楽」な時間は、私では全く楽しむことができませんでした。

それでは、早速始めて参りましょう。
今日もよろしくお願い致します。

自分でやりたいことができないという現状…

また、違う種類のストレスに出会って…

時間がたくさんありながらも、自分でやりたいことを見つけて、探し出して、やる仕事ではなく、自分の与えられた役割をこなし、それ以外は待ちの状態、待機をしていることは、本当に本当に私にはストレスでした。

管理職の方々の秘書業務をすること、そして、一番メインの事務所が置かれている上司の元で仕事をしてゆくという状態は、本当になかなかしんどいものがありました。
自分自身が試行錯誤しながら、仕事を探して、提案をし、その解決をするために尽力する3年8ヶ月を生きていた私には、泳ぎ尽くしていたマグロが、とたんに、せまい水槽に入れられて、そこで泳いでいるだけの時間のように思えて、非常に、自分の心の状態を治めることに苦労しました。

実際に、1カ月のうち数日間事務的な業務をこなせば、それで十分仕事を果たしたという役割でした。
もちろん重要案件業務の中でも、教団の会長がお伊勢参拝に行かれる前に、拠点の教会に参拝されるサプライズイベントの対応を裏方で私が担うことになったり、ほかにも包括地域の中にある他教団に会長が訪問されるということで、上司のアテンドをしながらセンチュリーの前の先導車役をするとか、前の業務とはとても違った対応と神経を使うことを強いられることがありました。

また、本当に教団の中枢にいる方からの話を、毎月直接会議の中で伺うことも増えていったり、包括地域内の他教会の行事に、教団理事をなさった方の講演などに私も参加させてもらって、青年層の担当をしている時には聞けない大人世代の話題にも個別にいろんな話を伺えることができるようになりました。
自分の役柄、立場が変わることで、教団中枢にいる方、いた方々から、いろんな話が聞けるようになったのは、それはそれで意味があったと思うこともありました。

それでも、いかんせん、私のなすべき役割は、本部と教会という相互間の情報を確認しながら調整をする業務や、教団の上層部の方々包括エリアに訪問する際の対応業務をするくらいで、単純に時間的には暇すぎたのでありました。

そのおかげさまで、自分自身が過去の経験してきたいろんなあいまいにしていた情報を、具体的な裏付けの要素にしながら、だいたい私の想定していた教団の状況と現状が快方に向かう材料がなさそうだという確信は間違えていなかったという結論に至りました。

それと当時に、単純に就労時間内は事務所にいなければならないという制限以外は、時間的な自由さがあったため、いろんな世界を知ろうと、学ぼうと、触れてみようと、書籍やインターネット上で検索をした中で、自分の惹かれることに動いてみようと本気になってやり始めたのは、三重県に人事異動ができたからこそだと、改めて、振り返ってみて思うのです。

そして、私が大きく動き出そうと思えたきっかけは、2011年3月11日に起こった東日本大震災でした。この惑星の意志をもって、今までの延長上に自分の身を置くのではなく、違った道を歩んでゆきなさいと、強く強く後ろを押し出されるような感覚を抱いたのでした。

その数日後に、上司へ退職の希望を伝えたのですが、正直イレギュラーな時期に中部という地域であり、愛知県出身の私のことをわざわざ引き抜いた方で、実際に私が大学生の頃からご縁を頂いていたので、なかかな首を縦に振ってくれることはありませんでした。
相されることは重々承知した上で、私も自分の意志を通す術を知っていましたので、いろいろと無理強いした所はありましたが、退職への了解を頂けるように上司とその上の上司からの承諾を受けて、実際に半月で退職の道筋をつけて、4月上旬に本部の人事へ伺い、4月10日付けで退職することができました。

その当時、人事の次長さんから、本音は違う所にあるのは十二分知った上で、私へ話してくれたことがあります。「ここは現在、終身雇用という形態をとっていて、且つ、中途採用で、教団の奉職者に入ってもらうことはあっても、教団を退職し社会へ還元するという逆の流れがあってもいいとは思っている。どうぞここで学んだことを次のステップに活かして下さい。」という言葉をもらいました。
そして、その人事の部屋を出たところに、何人かの後輩がいたのですが、私は大きく笑いながら「やりたいことができたので、辞めさせてもらうね。」という一言だけ残して去ることになりました。

辞めるには、辞めるなりの仁義を通さねば…

「辞めたいという理由だけでは辞めたくない」という考え方

私は結局2011年4月に退職の道を選択することになったのですが、そこの最終結論に至るまでに、実は再三再四退職をすることを辞めた経緯があります。
教団にいた頃には、大学時代から私のことを全面的に信頼してくれる一人の同期の存在がいて、彼から独自で学んでいた教義の理解、組織活動のノウハウ等いろんなサポートをもらって、私が乗り越えるべき壁を超えてきた経緯がありました。

いつも私が退職したくなる時に相談をし止められたこともありますし、また、彼が辞めようとすると止めるように促したこともありましたが、最後の最後は彼に相談ではなく、退職の報告を前日にする以外は、私の進退について誰かに相談することはありませんでした。

最後の退職の意志と覚悟を決めるまでは、実際に、辞めたいという思いしかなく、その先に何かをしようとか、何かしたいことが見つかったから道を変えるというビジョンはなかったのです。辞めたいから辞めるというのは、たんなる天邪鬼の子供が駄々をこねるのと変わりがありません。
ですので、本当に辞める時は、私がこの環境から離れるに値する思い、次なる視野が観えたときにしか選択してはならないと、ずっと思っていました。

たしかに、38歳で教団を創立した開祖も、また、過去世話になった師に当たる方とも所属していた霊友会を退く時が、最も悩み抜き、苦渋の決断の中で動き出したという話があります。

最終的には、私は私の道を歩み、自分が悟り、覚醒することが私にできうる最善の恩返しになると決断をして、その先に進む決意に至りました。
やっと、ずっと、私が23歳のころから思い始めていた、与えられた環境下で保障された定額の給与があり、与えられた役割をこなすのではなく、自分がイノベーターとして、自分が自分の可能性を全信頼して、新しいフィールドを構築してみたいと、素直に思えて、行動するには約15年という学びの期間が必要であったのかもしれません。

巨大な組織であった教団に在籍し、いろんな苦悩や葛藤を抱えながら歩んできた経緯はありましたが、すべてにおいて退職してからの私はあの環境で経験できたことがあればこそ、今の私があるのだと感謝を思いしかないのはとても不思議な変化ではあります。