更新日:2020-09-20 自己紹介雑談境大雅スタバ起業家宗教家仏教仏教徒

再びみちのくへと(33~36才)

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WRITER 境大雅(さかいひろまさ)
代表取締役
日本の覚者として、大自由を生きる 大学卒業後16年間、宗教家としての経歴を経て、2011年7月New Reality Inc.を設立。 スピリチュアルケアマスターとして、日本における覚者の一人として、 日本人の覚醒をサポートする一役を担っています。 また、101キャンドルライト(株)代表取締役、 別法人キャンドルライト内では、師より「生きた釈迦のようでありなさい」との願いの元、ID【三寶:サンボ】を授かる。 *注:三寶とは、佛宝・法宝・僧宝の三つの宝である三寶帰依に由来しています。
再びみちのくへと(33~36才)

再びみちのくへと(33~36才)

再び現場に赴任することに…

セドナ(2011年撮影)

おかげさまで、私の人生は捨てる神あれば拾う神ありとも言えるように、種々様々な出会いを重ねながら、その時々に必要なサポートをするためだけに登場してくれる方もいらっしゃいました。今回、直属の上司の恩情もありまして、東京から遥か550キロ離れた岩手県へと異動の辞令をもらって、本部のいろんなしがらみから心身ともに離れたことで、私自身も心の転換と自分のやるべきことを再度見つめなおし、私の人生と心がもう一度立ち上がってゆくきっかけを、純粋な人たちのご縁に頂戴した約4年間の旅路でありました。

さて、今日は、岩手県盛岡市へ移動してからの3年8カ月での体験を中心に文章を進めて参りましょう。
どうぞ、今日もよろしくお願い致します。

一番やりがいを感じていた頃…


岩手県盛岡市と言いましても、本当に東京から遠い所にありますので、ほとんど未訪問の地域であろうかと思います。盛岡市は、本州の県庁所在地がある都市で最も寒い所になります。

毎年12月から4月上旬までは雪が降り、1・2月に雪が降り積もる時には数時間で20-40センチほどになり、一番寒い季節には最高気温-3度最低気温-14度ほどになるため、大きな国道でも道のわき側は常に凍りついてアイスバーンになっている道をすべらないように、ゆっくりとすべりどめがついているブーツを履いて、過ごしていたことを思い出します。
ですので、一年間の年間行事スケジュールを組んでゆくにも、移動に問題がなくなる暖かい季節である4月末から11月中旬までに予定を組むようにし、最初の一年間は依頼を受けたことに対応する形で業務を進めておりました。

私も3年8か月間という短い期間ではありましたが、本当に北東北(青森・秋田・岩手県)にある10か所の拠点へ、片道40キロから250キロの道のりを移動しながら出張させて頂いたことは、私にとってとても体力的には負担の大きい疲れが残ることになりましたが、現状を把握しながら、今できることに集中して、全体のために私ができうる目的・意志を表現し、理解者、協力者を一人一人増やしてゆくことに努めてゆきました。
この地域は、18歳以上の若人が7・8割以上、多くの都市部(仙台や関東方面)へ移動するという現実があります。また、東京を中心に都会に出ていったものの、その都会に慣れずに地元に帰ってくる人たちも若干数いらっしゃいます。

そうした本当に青年層の人たちが非常に少ない所ではありましたので、なにか教育や行事を開催するようにしても、各拠点に集まってくださる方も20~80キロの道のりをかけて、会いに来てくれるのですから、正直、5-10人という人数を集めるにも、なかなか厳しい現状がありました。

しかし、途中から私と同じ立場の役割に6歳ほど離れた後輩が追加補充されたこともありまして、私は北東北の下側の拠点に絞って、且、

今いる人材の質的向上を図る教育を増やしてゆくと共に、
18歳まで地元にいる学生の中でも高校生をターゲットに教育ができる担当者を育成しよう
という共通意識を促してゆき続けてゆきました。

その集中したいことを理解してもらうためにも、出張先で会話をする在家の青年にかかわる責任者(青年部長)や10拠点の教会の教会長にもお願いをしながら、取り組ませて頂くことになりました。
だんだんと信頼関係が増してゆけばゆくほどに、私たちのやっていることに対する理解と協力を得られるようになり、いろんな機会を通して、私たちに若い世代の人たちと触れ合えるように、いろんな私たちが主催する教育・研修等に人を送り出してもらえるようになっていったのです。

20代前半から35歳ほどの地元にいるリーダーたちといろんな研修、宿泊の教育を連携させながら関わる中で、4年目には、盛岡の拠点で参加総数70名の高校生を送り出してもらい、中高生を20人を集めることすら困難であった地域で、長期休暇となる3月・8月には学生たちが活気あふれる姿が見られるようになりました。

こうして片道40キロから200キロ離れている各拠点から、足がない学生を集めるために、行事の受け入れスタッフが一緒に車で連れてきてくれる場合もあれば、送迎をするためだけに盛岡まで二往復してくれるような青年リーダーがいてくれたことも本当にありがたいことでありました。

その行事をやっている際に、盛岡の元青年部長さんが、その様子をみながら、「こちらに赴任された4年前から、ずっとやり続けてきたことの成果が表れましたね。これはあなたがなそうとした成果ですね。(笑)」とおっしゃって下さったのは、本当に今でも思い出すありがたい光景の一つであります。

時間と共に、信頼が紡がれたおかげもあって、私がやっていることに多くの賛同者や理解者がふえてゆきました。

中でも、とても私の個性を尊重してくださり、いろんな活躍の場を設けて下さる教会長さんは、毎回個別に時間を取ってくださり、いろんな助言を下さることもあれば、一般信者さんが多く集う日に突然研修をするように促されたり、いきなりあいさつや研修のまとめをしなさいと、即興でいろんな無茶ぶりをなさる方もいました。(笑)

ただただ、自分自身のなすべき役割を全うできたのは、本当に楽しい期間となりました。
そうはいっても、私ができうることは、実際に現場にいる信者さんの間接支援をすることにあります。教えを理解することをサポートしたり、活動や育成のために今必要な指針をリーダーと共有化しながら、選択・集中できることに的を絞って取り組むことをしてきただけです。

私はこの時だけ、教団から与えられた役割に、自分自身の目的意志を連動させて、人と関われる機会を能動的に行えることができたのは、やりがいのある業務でした。
距離的な問題以外は、本当に充実した日々を過ごしていたのでした。当時、各拠点には私が積極的に関わりたいと思える人が一人二人と次々に出てきてくれましたので…。

そうした役割も、突然のお別れがやってきたのでした。中部地域で、管理職が病欠のために、教会長と教区教務員というたった二つのポストだけの人事異動の必要が発生し、その一つに声がかかってしまったのです。通常の人事異動よりも4カ月も早い、突然の日程で8月1日に異動となりました。

このタイミングで、直感的に「私のここでやりたいことはもうすべて終わったんだなぁ」とここからはいろんな立場を通して、多くの経験は増えてゆくれども、やりたいことはなさそうだと思えてしかたがありませんでした。