更新日:2020-09-15 自己紹介雑談境大雅スタバ起業家宗教家会社法人代表歴史小説歴史上の偉人賢人坂本龍馬諸葛亮孔明明治維新三国史

若かりし頃に関心を持ったあれこれ

著者画像
WRITER 境大雅(さかいひろまさ)
代表取締役
日本の覚者として、大自由を生きる 大学卒業後16年間、宗教家としての経歴を経て、2011年7月New Reality Inc.を設立。 スピリチュアルケアマスターとして、日本における覚者の一人として、 日本人の覚醒をサポートする一役を担っています。 また、101キャンドルライト(株)代表取締役、 別法人キャンドルライト内では、師より「生きた釈迦のようでありなさい」との願いの元、ID【三寶:サンボ】を授かる。 *注:三寶とは、佛宝・法宝・僧宝の三つの宝である三寶帰依に由来しています。
若かりし頃に関心を持ったあれこれ

若かりし頃に関心を持ったあれこれ

歴史に興味を持っていたころの私…

今日は、貴船神社に参拝しつつ、非常に心地のいい風と川のせせらぎをBGMにしながら文章を書かせてもらっております。
京都市内はほぼほぼ30度近い気温まで上がっているはずなのですが、こちらは木陰の涼しさと、川から流れる水の音を聞きながら、実際の気温が25度前後のため、あまり暑さを感じることなく、秋の雰囲気を先取りして、秋らしき季節を経験している感じがとてもとてもしております。

非日常生活、非日常空間に自分の身を置いて、心身ともにリフレッシュすることを、私はやっとこさっとこ、経験できるだけの心の準備ができましたので、ようやく前後左右、過去や未来に振り回されることなく、今を楽しめていることがとてもとても豊かで、幸せで、喜んでいられる自分を、とても誇りに思っております。

さて、今回は、少し私って誰、私って何ものという一部をご紹介しながらコラムを書き進めて参りたいと思います。

学研の歴史人物のマンガからの始まり…

歴史上の人物に興味を持った青少年期

私の実家では、10歳のころから学研の歴史上の偉人賢人のマンガが置いてありました。
(たぶん、私が希望して買ってもらったんだとは思いますが、全く記憶にございません。)

最初に手にしたものは、坂本龍馬でした。その後、愛知県出身ということもあり、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康等々、また100人くらいの世界の偉人たちの簡単な人生がまとめられている分厚めのマンガを読んだりしていた記憶があります。

そして、中学校・高校生になって行ってからは、歴史もののファンタジー小説を読むようになり、一番継続していたのが「宇宙皇子(ウツノミコ):藤川桂介著」という小説でした。途中、自分が買い続けるのを辞めてしまいましたので、結局どこまでその小説が進んでいるかは、未だに調べていないので、理解していないのですが、その頃の私は10巻が一括りのシリーズもので、40冊くらいは本棚に保管していたはずです。

その後、小説に興味がひろがってゆき、特に歴史小説のいくつかを読み漁るようになっていったのが10代後半から20代後半のころでした。

司馬遼太郎さん、吉川英治さん・山岡荘八さんを中心に、歴史上の偉人・賢人の小説を読んでおりました。

最も印象に残っている日本の小説、そして、中国の小説三国志の中で出てくる人物は、「親鸞」聖人と「諸葛亮孔明」でありました。

では、なぜその二人の人物が自分の中で印象に残っているのかと言いますと、
まず一つ目、親鸞聖人については、若かりし頃に、日本の仏教界の中心に当たる比叡山に学びに行った際に、そこにいる先達・先輩たちの悟りを求める姿勢のなさに辟易して、結局そこを離れて、自分で悟りを究める選択をしてゆくプロセスが最も印象的でありました。

「ああ~。時代は違えども、こうした宗派まで作り上げる礎を作った人でさえ、自分と似たような感覚を抱いて、その先に進むことを貫いていったんだ」という思いがふつふつと湧き上がっていた20代後半…。

私の場合は、宗教法人を立ち上げる必要性を感じていませんので、また違った歩みを自らがしてゆくしかないと腹をくくるひとつの契機になっていたのは事実です。

そして、二つ目、諸葛亮孔明(生181年~没234年)という人物は、三国志時代、蜀の建国者である劉備玄徳に仕え、劉備の没後、その息子劉禅の丞相として人生を全うされた方であります。あまりにも有名な方ですので、説明を要しないでも大丈夫でしょう。

小説を読み進めている中で、一番印象に残っているシーンが、劉備が亡くなる直前に、「自分の没後、息子が将としての器がなければ、貴方が変わって国を治めてもらいたい」と言われながらも、それを実践せずに、父親とは似つかわしくないほどの凡庸な息子に忠義を尽くして、結局、その息子の器量のなさによって蜀の国が滅亡してゆくことになりました。

本当にトップの裁量・力量・人格如何によって、国は簡単に滅びてしまう。たとえ、小さなコミュニティであろうとも、私は私の資質を向上させ、リーターやファシリテーターとしての「あり方」への問題意識を持ち続けて、私自身を磨き続けてゆかなければならないと、心した思いが今でも残っております。

正直、尊敬する人、学んでみたいと思えるほどの人格者とめぐり合うことの難しさを実感していましたので、自分ができうる努力としては、歴史上の人物をひも解きながら学ぶしかないとも、悲しいかなそんな思いを抱きながら、小説に読みふけっていた若かりしころの自分がいたのを、しみじみと思い出しております。

歴史に名を残す人でありなさい…

父から授かった名前への願いを聞く

実は、私2011年に戸籍上の名前自体を変えています。
立正佼成会の信者であった小学校高学年のころ、自宅に久遠本仏の掛け軸を祭る御宝前(仏壇のようなもの)が手配されて、その時に、姓名鑑定をして頂いて授かった名前が「大雅:ひろまさ」でありました。

大学を卒業してからは、ある意味ビジネスネームとしてその選名(大雅)を名乗って、銀行口座や本名が必要になる以外は、すべて大雅の名で統一して仕事をしていた経緯があります。実際にもともとの実名は、雅史(まさし)と言いまして、2011年7月までは、その名が戸籍上の名前となっておりました。

過去、私が高校生向けに研修・講話をする機会を持つ際に、「親から自分の名前の由来や願い、その頃の思い出を聞いてみましょう」という課題を出しました。
各自、この地から自宅へ帰って、親から聞いてもらった報告を、その後の集合教育時に分かち合おうという流れで、あれこれ準備しておりました。

そのことを彼らに言う前に、私も親から聞いてみなければならないと思って、まず最初に母に聞いたら、名を付けたのは父なので聞いてみたらどうかとなり、直接聞いてみました。すぐさま帰ってきた言葉が「雅史という名は、優雅に、歴史に名を残してもらいたい」と願って付けた名だと…。

「歴史に名を残してもらいたい」って聞いて、武者震いがしました。
私には、その願いを授かった命があるということ、そして、30代半ばになってはいましたが、その名に恥じぬように生きねばならないと強く強く決意しました。

といっても、その6年後には、両親へ報告を兼ねて、私は「雅史」から「大雅」へ改名する旨、報告しに行った際に、
父は「佼成会はやめたのに、お前はその名前だけは使うんだな」と笑っていたのがとても印象に残っております。

本当に小さいことをかまうことなく、おおらかに、いつも、父は存在し続けてくれた人であります。
もちろん、人間ですから、いろんな一面がありますが、無条件に私がやりたいことを否定せずに、自分の思いを横において、いつも私を尊重してくれたことで、私も私が悔いなく、やりたいことを貫けているのは、両親の私に対する触れ方もひとつ大きな影響があったと思っております。

「歴史」というキーワードで思い出されたエピソードは以上であります。

最後まで、ご一読頂きまして誠にありがとうございました。

また、近いうちにこのコラムにてお愛できますこと、心より楽しみにしております。